Daichiです。
今回は新規ブランド…というよりアーティストをご紹介させていただきます。
先ずは下のイメージ映像をご覧ください。
※画像をクリックすると動画が再生されます。
店頭販売|2月14日(土)~
オンライン|未定
Brand || Karim Hadjab(カリーム・ハジャブ)
フランス出身の同名デザイナーによるブランドKarim Hadjab(カリーム・ハジャブ)。
Karim Hadjabは、時間と自然環境を制作装置として用いるアーティストであり、Karim氏の作品は新たに何かを生み出すのではなく、すでに存在するユーロヴィンテージのアイテムに“次の時間”を通過させる行為によって成立しています。
代表的な手法が 4saisons 。

4saisonsはその名の通り四季を意味し、自然界に1年間衣服を晒して繊維を変化させる方法です。
作者が完全にコントロールできる要素は多くはなく、光・空気・湿度・温度、そして時間の長さ、
それらの自然環境に作品を委ねることで、意図と偶然が交差する痕跡が表面に刻まれていきます。
この過程は加工でも装飾でもなく、時間そのものを物質化する試みとも言えます。
Karim氏の作品創作はここで留まることはなく、4saisonsが基盤であり、ここから作品製作が始まります。つまり、どの作品も絶対的に1年以上の時間が経過しているということになります。
プロダクトにより製作技法は異なり、
当店に届いた作品でいうと、Argile(泥)やMetal(鉄)があげられます。

Argileは北アフリカの伝統的な泥染めであり、Karim氏はアフリカにてその技法を学んだのち、その土をフランスへ持ち帰り自身の作品に落とし込みました。
日本でも奄美大島の泥染めは有名ですが、Argileはそれとも異なり、自然な黒を生み衣服に浸透します。
同氏曰く、北アフリカの泥には身体や服を清潔にする効果もあり、染色とともに汚れを落としているそうです。
また、土壌に含まれる鉄分や鉱物、粒子の粗さ、湿度や乾燥の過程で自然に現れる濃淡やムラによって形成されるスレなども作品に取り入れています。

Metal は金属の錆や燻み、色調の揺らぎを利用した技法です。
使用される金属は、新品ではなく、すでに用途と時間を経たもの。
錆を利用して染めたアイテムは他ブランドでもたまに見かけますが、気温や湿度、錆の深さを計算して施されるため、環境に左右されやすい加工の一種とも言えます。
また、染めた箇所や形により見え方も大きく変化し、作者の感性が色濃く表面に浮き出るのが錆加工の魅力でもあり、難しさでもあると感じます。
Karim氏によるMetal は人工物が自然に還ろうとする過程を映し出しており、腐食の美に不穏さを滲ませた、どこか惹きつけられる佇まいが印象的です。
私が初めてKarim氏の作品に触れたのは、かれこれ10年近く前だったと記憶しております。
都内のショップでイベントが行われており、偶然立ち寄り作品を見たときに、“衝撃”が走るとはこの感覚なのかと。
決して大袈裟な表現ではなく、実際にそう感じたのを覚えております。
その証拠に、STOTELAの構想を練っている際に取扱いたいブランドとして、真っ先にKarim Hadjabをあげたほどです。
本当はオープン当初から取り扱いたいと思っていたのですが、
代理店などはなく、国内でも取り扱い店舗が非常に少ない。
さらに情報もほぼ皆無のためほとんど諦めていたのですが、様々なご縁が重なり今回このようにして取り扱うことができました。
2026年、すでに運を使い果たしました。

話は戻り、際ほど述べた“衝撃”。
26年のリトルブラックドレスや47年ニュールック。
80年代にジャパンブランドが世界に与えた“黒の衝撃”。
ファッション業界にいれば必ずやそれらの内容に触れなければならないのですが、私が生まれる以前の話で、業界を揺るがせたほどのインパクトをリアルタイムで体感できていないためか正直ピンときていません。
各国の年代ごとの洋服を知り、
各国のファッションカルチャーを学び、
国内で丁寧に生産された良質なモノに触れ、
デザイナー自身の世界観を表現するコレクションを眺める。
知識が蓄積されるごとに物欲に駆られ、
経年変化を知れば実際に購入して試してみる。
普遍を愛しながらも流行に手を出して経験として取り込み、
その培ってきた全てをストリートという名の舞台でお披露目する。
気がつけば微々たる程度ではありますが、モノの良さを理屈で理解することができるようになりました。
しかし、納得のいく購買理由を得る代わりに、直感で手にした感動は確かに薄れていました。
そのことに気が付きながらも
そっと蓋をしていたのは、おそらくプライドのせいです。
そんな折、Karim Hadjab に出会いました。
事前情報などは全くなく、Karim氏自身のこともどんな加工なのかも本当に何もわからないまま、
先ほどの経験や知識、理屈などが完全に置き去りにされて、ただただ圧倒されていました。
理解が追いつかなかったのではなく、理解を必要と感じなかったというのか。
この作品の前で理解そのものが無粋だと。

製作期間は4saisonsが加わる時点で最低でも1年以上。
ヴィンテージのアイテムに施すからか、むしろたったそれだけの短い期間で創りあげているのかと感じました。
いや、違うな。
もっと根本的に。
Karim氏にとってのキャンバスがヴィンテージアイテムだったというだけで、キャンバスが変われど触れてみたいと思ったに違いありません。
ローテク加工に力を注ぐ工場や
一針一針に重きを置くアルチザンブランドとも違う。
私も、Karim Hadjabを取り扱う他のお店の方も、洋服ではなく作品と呼んでいます。
マジョリティの感覚からは離れているかもしれません。
本当に一部の方にしか伝わらないのかもしれません。
この作品が日の目をみることはないのかもしれません。
それでも良いと。
自分のそばに置いておくことで、自身の根底にある感性を一定に保てるような気がしています。
それほどにKarim氏が創る、そして魅せる作品に陶酔しているのです。

画家の作品を落書きと捉えるか、アートと捉えるか
Karim Hadjabをボロと捉えるか、アートと捉えるか
なるほど、芸術とはそういうことなのか…
似合う似合わないで手に取るというよりも、これまで培った物差しを脇に刺して、感性を刺激するために手に取っていただきたいです。
緻密な計算と自然に変わりゆく退化、Karim氏の感性が交わった作品にどうぞ触れてみてください。
どなたかに私が味わった“衝撃”を感じていただけたのなら幸いです。
今更ながらKarim Hadjabを文章で表すには、年齢・経験共に私は若すぎますね。
拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
それでは店頭にてお待ちしております。

投稿者|Daichi


